完璧主義をやめると、なぜか人生が楽になる話
「もっとうまくやれたはず」
仕事が終わって家に帰っても、頭の中でさっきのプレゼンを何度も再生している。あの言い方はまずかった、もっとこう言えばよかった。誰かに怒られたわけでもないのに、眠れない夜がある。
完璧主義の人は、終わったことを手放すのが苦手だ。
「高い基準を持って丁寧にやる」ことは、悪いことじゃない。でも、それがいつのまにか「完璧じゃなければ意味がない」という強迫になってしまうと、話が変わってくる。今日はその違いと、完璧主義を手放したときに起きる変化の話をしたい。
完璧主義の正体
心理学では、完璧主義は大きく2種類に分けられる。
ひとつは「適応的完璧主義」。高い目標を持ち、自分の成長のために努力する。失敗してもそこから学ぼうとする。これは本質的に前向きだ。
もうひとつが「不適応的完璧主義」。他者からの評価を恐れ、失敗することへの不安が動機になっている。他者評価への過度な敏感さ、強い自己批判・罪悪感、着手の遅れ(先延ばし)、燃え尽きリスクが特徴だ。
問題なのは後者だ。「失敗したら終わり」という恐怖が根っこにあるから、何をやっても消耗する。
なぜ「完璧主義」は行動を妨げるのか
完璧主義と聞くと、「何でも完璧に仕上げる人」をイメージするかもしれない。でも実際には逆のことが起きていることが多い。
完璧主義の人間には、先延ばしの泥氼に落ち込んでしまう人もいる。「完璧にできるようになるまで見せたくない」「完璧な点数が出せるようになるまで参加したくない」という思いにとらわれて、最初の一歩が踏み出せなくなるのだ。
さらにやっかいなのは、完璧主義者は大局的に見ると生産性が落ちることが多い。局部的な完成度の高さにこだるあまり、大局的な状況を見失ってしまい、結果的には大局的な生産性が落ちてしまうような行為の選択をしてしまうことが多々ある。
細部を磨きすぎて、全体が前に進まない。完璧を目指した結果、中途半端なまま終わる。これが完璧主義の皮肉な構造だ。
「完璧主義」が生まれる心理的な背景
なぜ人は完璧主義になるのか。
条件付きの愛しか示さない保護者のもとで育てられた場合に、このような気質になってしまうことが多いと言われている。何かがうまくできた時だけ認めたり感情を示すが、何かができないと感情を持ちかけない兩親によって育てられると、子供は自分が何かうまく実行できるかどうかということに異常に過敏になっていく。
「できた自分は価値がある。できない自分は価値がない」という信念が、幼い頃に刷り込まれていることがある。それが大人になっても続いて、「完璧にできなければ自分には存在価値がない」という思い込みにつながっていく。
意識していなくても、そういう声が頭の中に残っている人は少なくない。
「十分によくやった」を基準にする
完璧主義への処方箋として心理学がすすめるひとつが、「Good Enough(グッドイナーフ)」という考え方だ。
「完璧」ではなく「十分によい」を基準にする。100点でなくても、とりあえし70点で前に進む。やり直せないことより、動き続けることを優先する。
これは手を抜くことじゃない。「完璧じゃなくても行動する価値がある」という思考の切り替えだ。
完璧な準備が整ってから動こうとすると、永遠に動けない。「とりあえず出してみる」「まず試してみる」という姿勢が、実は一番遠くに連れていってくれる。
失敗を「データ」として見る視点
完璧主義の人は、失敗を「自分の価値が下がった証拠」として受け取りやすい。だから失敗を極度に恐れて、リスクを連び箚ける。
でも視点を変えると、失敗は「次に活かせる情報」だ。うまくいかなかったのは、その方法が合わなかっただけ。自分という人間の価値とは別の話だ。
スポーツ選手が試合後にビデオを見直すのと同じで、うまくいかなかった経験はフィードバックだ。責める材料じゃない。「あの失敗があったから今がある」という経験を持つ人は多い。完璧主義を手放した先に、そういう感覚が待っている。
まとめ
完璧主義をやめることは、「いい加減に生きる」ことじゃない。
「完璧じゃない自分でも、前に進んでいい」と許可することだ。失敗を恐れて立ち止まるより、とりあえし70点で動き続ける方が、ずっと遠くに行ける。
終わったことを何度も責め続けるのは、もうやめよう。あなたは今日も、十分によくやっている。
参考:
完璧主義と先延ばしの関係 → https://igknowledge-psycho.com/perfectionism_procrastination/
適応的・不適応的完璧主義について → https://coaching-l.net/adaptive-vs-maladaptive-perfectionism/
