「人に合わせすぎる」のは、意見がないんじゃなくて、言う練習をしてこなかっただけだった
「あなたはどうしたい?」
そう聞かれたとき、とっさに「なんでもいいよ」と言ってしまう人がいる。
ランチのお店も、休日の予定も、映画のジャンルも、いつも相手に委ねてしまう。
「わたし、自分の意見がないのかな」と思ったことがある人に、少し話を聞いてほしいんです。
意見がないんじゃない。「言っていい」と思えなかっただけ
「人に合わせすぎる人」を見て、意見がない人だと思うのは、たいてい誤解です。
その人の頭の中には、ちゃんと意見がある。「今日はイタリアンより和食がいいな」とか「その映画よりこっちのほうが気になる」とか、感じていることはある。
ただ、それを口に出すことに、ものすごくブレーキがかかっている。
「言ったら変に思われるかな」
「意見が違ったら気まずくなるかも」
「わたしの好みを押しつけたくない」
そういう考えが瞬時に走って、結果的に「なんでもいいよ」になってしまう。
意見がないんじゃない。言う練習を、してこなかっただけなんです。
なぜ「なんでもいい」がデフォルトになるのか
人に合わせすぎるようになるのには、いくつかの理由が重なっていることが多いです。
ひとつは、過去に意見を否定された経験。子どもの頃に「そんなこと言うもんじゃない」と言われたり、意見を言うたびに笑われたり否定されたりすると、「意見を言う=危険」という感覚が体に染みついてしまう。
もうひとつは、嫌われることへの恐れ。自分の意見で場の空気が壊れることを、極端に怖がっている。「合わせていれば丸く収まる」というのは、ある意味とても合理的な選択でもある。
そして、意外と見落とされがちなのが、責められることへの恐れ。
「自分が決めたせいで失敗した」と思われるのが怖い。自分の意見で動いて、それがうまくいかなかったとき、責任を取らされるのが怖い。
だったら最初から意見を言わなければいい。そうすれば、失敗しても「わたしのせいじゃない」でいられる。
これは意志が弱いとか、無責任とかじゃなくて、傷つかないための防衛反応なんですよね。それだけ、過去に何かで傷ついてきた人に多い。
「合わせ続ける」ことのじわじわしたしんどさ
人に合わせていると、一見うまくいきます。
トラブルは起きない。嫌われない。場の空気も壊れない。
でも、それを長く続けていると、あるとき気づくんです。
「わたし、何が好きなんだっけ?」
自分の感情や好みを後回しにし続けた結果、それがどこにあるのかわからなくなってしまう。誰かに「何が食べたい?」と聞かれても、本当にわからない、という状態になっていたりする。
これは地味にしんどい。自分の輪郭が、少しずつ薄くなっていくような感覚。
小さな「自分の意見」を取り戻す練習
「もっとはっきり意見を言おう」と急に思っても、なかなか難しい。それは当然で、何年もかけて作られた習慣は、そう簡単には変わらない。
だから、本当に小さなことから始めてほしいんです。
「今日のランチ、自分で決める」
「次に見る映画、自分が気になるやつにする」
「友達に聞かれたとき、正直に答えてみる」
それだけでいい。意見を言う筋肉は、使えば少しずつ育っていく。
最初は「こんなこと言っていいのかな」とドキドキするかもしれない。でも、意外と周りは気にしていないことが多い。むしろ「そっちのほうが助かる」と思っている人だって、たくさんいる。
参考:空気を読みすぎて疲れるあなたへ。「自分らしさ」を静かに守る方法
意見がないんじゃない。
ただ、言う場所も、練習する機会も、なかっただけ。
「なんでもいいよ」が口癖になっている人は、もしかしたら今まで、自分の気持ちをずっと後回しにしてきた人なのかもしれない。
そろそろ、自分の番にしてあげてほしいな、と思う。
